組織において「肩書き」が人間を劇的に変えるという説を、私は長らく胡散臭いと思ってきた。凡人に立派な名刺を持たせたところで、中身のポンコツ具合が突然変わるわけないからだ。しかし、今回の日本ハムのニュースを見て、その認識を少し改めるべきかもしれないと思い始めている。
野村佑希が結婚した。
伴侶を得て「家族を守る」と誓う姿は、じつに健全で美しいアスリート像だ。だが、私の視線を釘付けにしたのはそこじゃない。清宮幸太郎からのご祝儀に対する、野村の「会長ついていきます」という投稿。そこに対する清宮の「せやろなあ」という一言である。
溢れ出る大御所感。
圧倒的な上から目線。
完全に裏社会のドン。
「選手会長」という役職に就いた途端、26歳の青年がここまで仕上がるとは誰が想像しただろうか。仮に私の職場で、新任の若手リーダーが同僚のお祝いに「せやろなあ」などと返せば、翌日にはコンプライアンス委員会案件である。だが、プロ野球という社会では、この貫禄は「頼もしいトップの器」として許容されるのだ。
肩書きが彼を本物のドンに覚醒させるのか、それとも単なる内野陣の壮大な身内コントなのか。私には知る由はない。新婚の野村が幸せボケでスイングの軌道を狂わせないか、それだけが気がかりだ。


