
「教えない」ことが最高の指導。
昨今もてはやされるこの手の人材育成論を耳にするたび、私はいつも疑問を覚える。要するにこれ、プロでもたまにやらかす「一点ビハインドの終盤、ノーアウト満塁からの謎の強攻策」と同じ匂いがするのだ。ベンチにはきっと緻密なデータに基づく深遠な意図があるのだろうが、結果は最悪のホームゲッツー。そして「選手が自分で状況を判断しきれなかった」と、責任がふんわりグラウンド上に押し付けられる。吉井理人氏の著書を読み込んで、その違和感の正体が少し見えた気がする。
この本が展開するコーチング理論は隙がない。自分の成功体験を頭ごなしに押し付けるな。相手を徹底的に観察し、「なぜ?」「どうしたい?」という質問で、選手本人に状況を言語化させろと説く。
かつてのスター選手が、自分の絶頂期の感覚を若手に叩き込み、見事にフォームを狂わせて二軍行きとなる悲劇を、私は何度も見てきた。だからこそ、常にフラットな感情で選手に寄り添う吉井氏のメソッドは正しいと思う。
ただ、この本には一つ欠けていることがあると思う。理論は美しいが、現実的に選手の8割以上は「その理論が全く届かない選手たち」なのではないだろうか。
ダルビッシュ有や大谷翔平のような一握りの天才、あるいはすでに自分の型を持つ上級者なら、コーチが「君はどうしたい?」と問えば、完璧な自己分析を返してマウンドに向かうだろう。
しかし、グラウンドの大半を占めているのは彼らではない。打率1割台でバットにボールが当たる気配すらなく、ベンチで絶望の表情を浮かべている若手たちだ。彼らに「なぜ打てないと思う?」と聞いたところで、「わかりません」という虚無の答えしか返ってこないだろう。
もっとも、吉井氏はこの問題を全く無視しているわけではない。本書は選手を習熟度によって4つのステージに分け、初心者には「考えさせる」前にまず「徹底的に教える」と明記している。「教えない」は万能の処方箋ではなく、ある程度の土台が育った選手への話なのだ。
であれば私の批判は的外れだったかと問われれば、半分そうだと認める。しかし残る半分の違和感は「この選手は今どのステージか」をコーチはどう見極めるのかということだ。本書はステージの定義には丁寧だが、その判定基準と切り替えのタイミングについては、現場で即使えるほどの解像度には達していない。
理論の地図は渡された。だが、今自分がその地図のどこに立っているかを知る方法は、まだコーチ個人の経験と勘に委ねられたままだ。
「人間としても敬愛される人を育てる」。見事な結論だ。ビジネスマンならここで付箋を貼り、明日からの部下育成に意気込むのだろう。
しかし、私は思うのだ。どんなに完璧なコーチング論を読破し、理想の上司やファンを気取ったところで、九回裏の勝ちを目前にした場面で信じられないような落球をして負けるのが野球というスポーツだ。
「結果が全て」の厳しい世界。育成の正解は、結局のところ誰にも分からない。
能書きはここまでだ。私は今日もテレビをつけて、何度裏切られても期待してしまう、あの青と白のユニフォームを着た選手たちの不条理なプレーに、盛大なヤジと拍手を送る準備を整えるとしよう。


