神の抜け殻を祀る儀式、侍ベンチの背番号11について

WBC

おい、お前ら。
画面見てて変な声出なかったか。
俺は出た。
東京ドームのベンチの奥底、妙に神々しいオーラを放つ布切れが鎮座しているのを見た瞬間、思わず拝みそうになったわ。 アドバイザーとして宮崎合宿に降臨し、若手たちに惜しげもなく己の叡智を授けて去っていった男、ダルビッシュ有。
その背番号11のユニホームが、なぜかベンチに掲げられている。

いや、死んでないからな。

普通、大会本番にいなくてユニホームだけ飾られるのって、不慮の怪我で離脱した無念の同胞へ向けた鎮魂歌みたいな文脈でやることだろ。
なのに今回は違う。
ピンピンしている現役メジャーリーガー、しかも今回は「選手じゃない」おっさんの脱ぎ捨てた抜け殻が、まるで古代エジプトの聖遺物か何かのように丁重に祀り上げられている。 高橋宏斗なんてもう、完全に祭壇に供物を捧げる神官の顔してたからな。
これ、野球の試合っていうより、一種の降霊術に近いのではないかと、しがないおっさんは危惧しております。

考えてもみてほしい。恒星がその寿命を終えた後も、放たれた光は数万光年の暗黒の真空を越えて我々の網膜を焼き尽くす。それと同じだ。
ダルが宮崎のブルペンで放った「重力崩壊的カリスマ質量」は、彼がアメリカに帰った後も侍ジャパンのベンチに巨大なブラックホールを形成している。ユニホームという物質的な依り代があることで、その引力は事象の地平線を超えて台湾戦のグラウンドにまで干渉してきているわけだ。
ネットフリックスで解説してた由伸も「存在感が際立っている」とか言ってたけど、そりゃそうだろ。霊圧がビンビンに発せられてるんだから。

草生えるわ、マジで。
でもな、この異様な光景に俺は少しだけ泣きそうになってしまったんだよ。 偏見の塊である俺の濁った眼には、あのユニホームが単なる布切れではなく、若い投手陣を包み込む絶対的な防壁に見えた。
初めての大舞台で足が震えるようなプレッシャーの中、ふとベンチを振り返れば、あの偉大な先輩の「11」がそこにある。俺が教えたんだから、お前らならやれる、という声なき声が、彼らの脊髄を直接ブーストしている。

お前らも明日仕事で理不尽な上司に詰められてパニックになったら、脳内のベンチに自分を励ましてくれる推しのユニホームでも掲げてみろよ。
意外と悪くないプラセボ効果があるかもしれませんよ。

さてと、俺も部屋の壁に張った推しのポスターに向かって、今日の勝利の報告でもしてくるか。

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